ストーリー

STORY2 最後まで自分の役目を果たし、孤独な経営者に寄り添う

2021.03.17

その人の暗闇の中の灯台の光のような役割に

経営者には向いていなかった職人気質の父

経営者本人の人生まで抱え、会社の本質を診る仕事は、命を削るようなハードなものでもある。
そんな仕事を岩井が続けてきた大きな原点には、自営業をしていた父親の存在がある。

建設業をしていた父親は腕は一流で職人としては常に仕事が途切れなかったが、親切を通り越しお人好しすぎて、経営者としては才覚に恵まれていなかった。
そのため、小さな頃から岩井家は経済的に厳しかった。

岩井が小学3年生のとき、今の仕事につながるようなエピソードがあったという。
父が信用金庫に定期預金の解約をしに行って、逆に勧められるがまま貸付を受けて帰ってきたことで、両親が喧嘩しているのを見て、30分近くかかる道を一人で信用金庫に行き、支店長に「お父さんが自分のお金があるのにお金を借りてしまったので、お父さんのお金を返してください」と言ったのだ。
最終的に父親は定期預金を解約できたが、その時支店長から岩井は「高校を卒業したら、うちで働いてください」と言われたそうだ。

会社をやめる決断をした父が自殺を……

そんな父親の会社は、バブルの弾けたあとは回収不能の案件も多く、業績も伸び悩んでいた。
母や弟、そして岩井が足りない資金を工面し続ける日々。
母は疲れ果て、ついに離婚へ。
このままでは経済的にも精神的にも家族が破綻してしまうと、一人きりになった父親のアパートへ、岩井は何度も足を運んで会社を精算するよう説得した。

そして、ついに弟から「親父が仕事をやめるって決めたよ」と連絡が来る。
しかし、清算や整理の相談をするために岩井が実家に戻ったその日、父は自殺をした。

呆然としている暇はなかった。
警察の聞き取り、身元確認、翌日には職人や仕入先の業者が自宅に押し寄せてきた。
債権債務の把握、請け負っていた仕事の確認や損害金、事務所やアパートの撤収……。
債権者との話し合いをするため、一軒一軒足を運ぶ必要もある。
自宅に嫌がらせや脅しにくる人たちもいるなかで、相続放棄をし保証人としての支払義務を果たさなくてはならない……。

相談できる第三者がいれば、父は死を選ばなかったかもしれない

父の死後、岩井の家族はそれぞれ、さまざまな悲しみ、怒り、罪悪感を抱えて生きることとなった。
「何も分かっていなかった。父を助けることができなかった、気持ちをわかってあげられなかった。」
……そして、父の56年間の人生は何だったのか? なぜ父は死を選んだのか?

そんな想いが続く中で、岩井が気がついたのは、初めて家族に心休まる瞬間が訪れたことだった。
保証人として返さなければならない借金はあるが、もう新しい借金が増えることはない。
もしかすると、父は父なりに最後に家族にしてやれることとして、死を選択し、それが父の家族への愛の形だったのかもしれない……とも考えた。

その一方で、命を絶たなくてもここから抜け出せる方法はあったはずだ、死ぬことなんてなかった――そう思う、正直な気持ちもある。

もしかすると父に誰か相談ができる、自分の気持ちを話せる人がいたら、死という選択はしなかったかもしれないのだ。

家族という存在は近すぎて、大切に思うからこそ、なかなか本当のことは言えない。
だから、父の本当の叫びを聞いてあげることができなかったのではないか。

そうだとしたら、第三者という立場だからこそできることがあるのかもしれない。
父のような人、私たちのような想いをする家族をこれ以上増やさないために……。

自分にはこの世にやるべき役割がある

実は岩井自身も、自ら「死にたい」と考えた時期がある。

31歳のとき、元夫との離婚話が進まず、彼の借金を抱え金銭問題でも苦しんでいた。
そんな毎日のように死にたいと思っていた矢先のことだった。
免疫不全疾患と診断され、結核を患った岩井は、医者に死ぬかもしれないと言われたのだ。
毎日、夜寝るのが恐ろしく、「もしかしたら、明日の朝は目が覚めないんじゃないか……」そう思うと、眠れない日が続いた。

注射と点滴を打ち、朝昼晩とお腹がいっぱいになるほど大量の薬を飲んだ。
3年以上薬を飲み続けたが、それでも死なずに生きている自分に、岩井はこう考えた。
神様はまだ私に「この世でやること、やれること、役割がある。それまではしっかり生きなさい」と言っているのかもしれない、と。

もしこれが、神様がくれた残りの時間(人生)ならば、「もうこの世でのあなたの役割は終わりましたよ」と言われる、命が尽きるその日まで、頑張ってみよう。
――岩井は、自分の身体と心に力が湧き上がるのを感じ、自分が今できることを必死にやろうと決心した。

25年間No.2としてアパレルメーカーで経理・財務を支える

岩井の現在の仕事につながるもう一つのきっかけは、20歳で入ったアパレルメーカーに25年間勤め、No.2として経理・財務面で会社を支え続けたことだ。

資金繰りの厳しい中でも、銀行との折衝、得意先・仕入先との契約条件の交渉を徹底し、売掛金回収、工場とのコミュニケーション、スタッフの管理、直営店やフランチャイズ管理とあらゆる部分にすべて自ら携わり、デザインやパターン以外のほぼ全業務を担ってきた。
業界柄ずさんな金銭管理の会社も多い中で、4年に一度入る税務調査でも16年間追徴課税を取られたことがないほど、きっちりした経理を実践。
取引先とも、支払いを一度も遅れることなく信頼を築いてきた。

その裏では、営業からどうしようもないと泣きが入った場合は、岩井自らが得意先と話し合い、保証人や担保をつけての支払債務確約書を作成して署名捺印をもらいに行ったり、ときにはお店のレジの売上から集金をしてくるほどの実行力があった。
展示会の際は営業やデザイナー、企画スタッフと一緒に得意先の接客をし、展示会の受注も手伝った。
商品発送で、一日に段ボール300個を梱包、売上伝票1000枚入力することもあったという。

ピーク時は年商20億円弱という会社で、金庫番として金銭面を一手に引き受けるだけではなく、全力でスタッフや取引先と向き合ってきた日々。
だが、バブルが弾け、売上が減少し始めてからは、工賃の値下げ、工場との取引中止、支店や直営店の閉鎖、大規模なリストラや減給など、辛い仕事が岩井に集中した。
「このまま進んでも限界が来る」、そう感じた岩井は代表に会社の売却を提案するが、聞き入れられることなく、さらに業績は悪化の一途をたどっていった、

会社存続のためにできる限りを尽くした岩井だったが、代表と目指すところがすでに異なっている以上、この会社でやるべきことはもうなかった。
金融機関の条件変更など、なんとか会社が存続できる状態にした時点で、岩井はついに会社を退職。
3年後に会社は倒産したが、その後も顧問弁護士や代表者から頼まれた岩井は、破産業務にも加わった、「最後まで自分の役割、役目をまっとうする」
――それが、アパレル時代に岩井が培ってきた信念だった。

一人でも多くの経営者が暗闇から抜け出せるように

父の死、25年間勤めたアパレルメーカーの退職後も、人生の小休止をしようとした途端に子宮頸がんと診断されるなど、岩井は数々の人生の転機を乗り越えてきた。

そうした経験を経て、岩井が目指したのは、一人でも多くの経営者が、孤独に陥ることなく心身ともに本当の意味で満たされている存在になることだった。
経験したこともない、目の前が真っ暗になるようなことが起こったとき、状況にのみ込まれてしまい、苦しさから本来の自分を見失ってしまっているとき、そこから自力で抜け出すのは難しいことだ。
しかしそんなときも、自分がその人の暗闇の中の灯台の光のような役割になれたら、人は抜け出すことができるかもしれない。
立ち直ることができるかもしれない。誰か一人、信じてくれる人、見守ってくれる人がいたら、頑張れるかもしれないのだ――。

こうして苦境に立たされている経営者を支援し始めているうち、岩井は現在の「経営/財務コンサルタント」であり「修羅場コンサルタント」としての実績を積み上げていた。
自身で特に営業をすることなく、周りからの紹介のみで、仕事が広がっていった。

※ 2020年のインタビューを掲載しております。